「毎日楽しい」と言う人もあれば、「毎日がおもしろく」ないと言う人もいます。
その違いはどこにあるのでしょうか?
一言でいえば、
毎日を楽しいと思って過ごしているか、つまらないと思って過ごしているかの違いです。
「何を当たり前のことを」とお叱りを受けるかもしれません。
若い頃は、将来何になろうかと、まだ自分が何者でもないという認識で
漠然と夢を見ている人も多く、たとえ今が経済的に恵まれていなくても、
「これから頑張って夢を適えるんだ」という人、
あるいは「仕事をしてお金を稼いで結婚して家を買って子供を育てる」という
社会によって敷かれたレールの上を走っていくことが目標となっていた人もあったでしょう。
しかし、ある程度の年齢となり、社会経験を重ねてくると、今まで自分が歩んできた人生を
ベースに、これから先の人生が何となく見えてくる気がしてしまいます。
会社勤めで先輩の給料がこれぐらいなら、このまま勤めても生涯収入はこれぐらい、
今の家賃、今のローンを払い続けると手元に残るのはこれぐらい、
自分の人生はこんな程度か 等と、悲観的になってしまう人もいます。
でも、本当は「人生一寸先は闇」と言うように、
誰にも将来の人生なんてわからないんです。
「一寸先は闇」は、悪い意味ではない。
一寸、つまりわずか3センチ先には私たちが見えていない領域があるということです。
「闇」は光が差し込んでいないから見えない状態を指します。
今は見えていない、あなたが気付いていない可能性、能力が隠れていること、
違った人生が開ける可能性をも意味しています。
一寸先を見る為には
では、「一寸先」はどうしたら見ることができるのでしょう。
「一寸先」はみんなに共通したものではありません。
自分が未来(一寸先)に何を望むかが問題です。
ここで「未来=一寸先なの?」と疑問に思われる方もあるでしょう。
「未来」というと、ずいぶん遠いことのようなイメージを浮かぶかもしれませんし、
「一寸先」というと、すぐ近日というイメージが浮かぶかもしれません。
では、わかりやすく、一寸先=近未来と定義すると
近未来の繰り返しが、遠い未来を形づくると考えることもできるでしょう。
いずれにしても、今日が存在しなければ、明日も明後日も存在できません。
今日の行動によっては、明日が当たり前のようにやってくるという保障はない訳です。
私たちが今日、今この瞬間に何を考え、行動するかで未来は変わります。
誰しも好き好んで辛い未来を描きたい人は本来いない筈です。
しかしながら、過去の記憶にとらわれてしまっている人が多いです。
過去の実績から自分を過小評価してしまい、自分にはできないと
自分の未来を決めつけるのはもったいないです。
近年の脳研究では、80代の脳でも脳神経が新たな細胞分裂を行えることがわかっています。
今この瞬間は、次の瞬間には、すぐに過去の記憶となっていきます。
私たちは、本来、今この瞬間に生きている存在ですが
多くの場合、過去の記憶を「今」だと勘違いしています。
過去の記憶で今を定義すると、私たちは過去をひきずり
未来を見ることができません。
過去の呪縛から逃れて、自分がなりたい未来を描いて目標を定めると、
自分の中で、過去の評価が変わっていることに気付くことでしょう。
過去(の意味づけ)は未来である現在が変わることでどんどん変化していきます。
私たちは、自分が望む未来を描くことで、自分の人生をデザインすることができるのです。