時計は世界を縛り、世界を開く

長年、腕時計が好きではありませんでした。

携帯で時間がわかるようになってからは、ほとんど付けることがなく

試験の時に卓上に置く為に持っているだけでした。

腕に時計を装着すると、縛られるような感じがするのもイヤでした。

でも、今思うと、縛るという事は、その世界に繋ぎ止めることでもあります。

現代における時計は、時間を知るというツールだけでなく、アクセサリーとしての

側面が大きいです。

アクセサリーは、自分の意識はストレスにさいなまされても

物理的に壊れない限りは形を変えることがありません。

付ける人間側が、アクセサリーを自分の味方だと思っている限りは

アクセサリーは、形を変えずに味方になってくれます。

いつでも傍にいてくれる相棒となってくれるわけです。

自分を見失いそうになったら、美しく・あるいは強い造形を見て

理想や勇気・希望を思い出させてくれるのがアクセサリーとしての時計の在り方なのだと

思います。

自分が気に入って選んだ時計は、自分の理想が投影されている筈ですから。

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