本日4月29日はゴールデンウィーク始まりの日曜日ですが、特に遠出する予定もなく、
アマゾンで購入した本を受けとりに郵便局へ行ってきました。
(私は宅配便を自宅で受け取った後にダンボール箱や梱包材を始末するのが面倒なので
可能な範囲で局留めや営業所留めにしています。)
目次
どこからタバコの臭いが?
で、郵便局で受け取って、駐車場へ戻ると
強烈なタバコの臭いが!!!
この郵便局の屋外に喫煙コーナーはなかった筈?
という疑問はすぐに氷解、
すぐ近くに停まっている車の前で、中年の男性がタバコを吹かしていました。
タバコの煙は、私が今通ってきた通路の方へ風に乗って依然モクモクと流れています。
この男性は、通路の方にタバコの煙が流れているのがわからないのでしょうか?
やや怒りを覚えた私は、
「ここ(郵便局の駐車場)喫煙コーナーちゃうやん! 迷惑やねん!」
と、つい声を荒げてしまいました。
男性は、一瞬自分が指摘されていることがわからなかった様子でしたが、
たぶん目を吊り上げている私に気付き、
「一応これ持ってるし・・・」と、ボソボソとした声で携帯灰皿を指し示しながら
喫煙の正当性を主張されていましたが、
私が退かない様子を見て、車内に入ってしまわれました。
携帯灰皿があればどこで吸っても良いのか?
長ったらしい文章となってしましましたが
私が意外に感じたのは、
この人は、携帯灰皿さえ持っていればどこで吸っても良いと思っているのでは?
ということでした。
確かに、郵便局の敷地内に「禁煙」という看板はありません。
しかしながら、決して広いとは言えない敷地内の駐車スペースは全て埋まっており
郵便局から出てきた人が駐車場へ行く通路は私が歩いてきた一か所しかありません。
つまり、郵便局から出てきて車に乗ろうとする人は、風向きが変化しない限り
好む好まないにも関わらずみんなが
この中年男性のタバコの煙を浴びることになります。
この中年男性は、タバコの灰を落とさなければ、タバコをポイ捨てしなければ
マナーが良いとされると思っておられたのかもしれませんが、
今の時代では通用しないでしょう。
「タバコ」は嗜好品か?
「タバコを吸いたい人」「吸いたくない人」が世の中にはおられます。
タバコを「嗜好品」と解釈するのであれば
「吸いたい人」は「吸いたくない人」に迷惑をかけずに吸わなくてはいけません。
嗜好品の定義は、生活必需品では無く、本来無くても構わない物の筈です。
「タバコを吸いたい人」の為に、「吸いたくない人」が嫌な思いをしたり
健康被害を受けることは、あってはならないことです。
もっとも、私はタバコは「嗜好品」ですらなく、製造・販売・流通を禁止するべき物で
あると考えています。
よくCMで、「吸う人も吸わない人もここちよい社会を作りたい」なんて言ってますが、
どういう意味かと販売会社のサイトを見てみると
吸う人は、「健康リスクを知って、(自分の嗜好で)吸っているから、
吸っててもここちよい」という意味だそうです。
「タバコ」は簡単にやめられないように仕組まれている
しかし、勧めらたり、健康を心配して禁煙を試みた多くの人が禁煙に失敗するのは
タバコに含まれるニコチンが脳に対して快感物質として作用する為、
禁煙しても一定期間はイライラするなどの禁断症状を起こす「依存症」を起こしているから
だというのはほとんどの人が知っていますよね。
喫煙者は好んで吸っているとは限らない
つまり、タバコによる健康被害が医学的にも明らかになった現代において
タバコを吸い続けるのは、本人の意思では無い場合が多くあるということです。
不幸の連鎖を呼ぶ「タバコ」
タバコを吸うことで依存症という病気にかかり、タバコを吸い続けることで
吸っている本人が様々な病気発症のリスクを抱えるだけでなく、
周りの人にも臭いや煙で迷惑をかけ、周りの人の病気発症のリスクまでも上げてしまいます。
不幸の連鎖を断ち切る為に
タバコが嫌いな人からすると、喫煙者は嫌なものです。
「何でタバコなんて吸うの?体に悪いのに?信じられへん!」という人も多いでしょう。
しかし、喫煙者の脳はニコチンによってコントロールされていますから
体に悪いと言われても、喫煙者はなんとか理由を付けて自分を納得させて吸おうとします。
「自分は大丈夫」と根拠の無い理屈を捏ねて吸い続けます。
家族や知人が喫煙者で健康が心配、非喫煙者である家族が辛いということも良くあるでしょう。
タバコをやめてもらうために、禁煙外来で治療を行うという手段もありますが
親しい間柄だからこそ出来ることもあります。
それは、本人に対して「タバコをやめて欲しい」と真剣に意思表示することです。
どういうことかと言うと、
「タバコをやめなければ家に入れない」
「タバコをやめなければ口をきかない」
「臭い、迷惑、家族も病気にするつもりか?」
等、本人にタバコか、家族(近親者)かの選択を迫るということも含みます。
本当に本人のことを考えれば、その想いは伝わります。
伝わらないのは中途半端なやさしさがある場合です。
禁煙を勧める場合において、「本人が吸いたいと言ってかわいそうだから」という同情は
最悪です。
喫煙者は自分の意思で吸いたいわけではなく、ニコチンに支配されているから
ニコチンが切れそうになると不安を覚え、喫煙を繰り返すという病気になっているだけです。
家族や近親者の強いサポートや禁煙外来によるサポートがあれば、禁煙は可能です。
禁煙が成功するまでは家族や近親者も辛いかもしれませんが
禁煙後には感謝と以前より強くなった絆を得られることでしょう。
喫煙者も、タバコを「吸わされている」
タバコを「吸う人」は正確な表現ではありません。
みんな「吸わされている人」なんです。