2018年5月6日 関西学院大学と日本大学で行われたアメリカンフットボールの定期戦に
おいて、ルール違反の悪質なタックルが行われたことが大きなニュースとなっています。
日本大学の調査においては、監督からの指示が有った、または無かったという情報が錯綜して
いる様子です。
指示が有無にかかわらず、「勝つためには手段を選ばない」という風潮がまかり通るので
あれば、それはルールの基に行う本来の「スポーツ」ではなく、ケンカに過ぎないでしょう。
いえ、ケンカでも暗黙のルールは無いと、傷害・傷害致死事件につながってしまいます。
「監督の指示は絶対だった」というコメントには、
スポーツ教育における大きな問題点を提示していると言えるでしょう。
少なくとも義務教育を終え、高等教育を受けている筈の学生が
やって良いことか悪いことか判断できない、「思考停止状態」となっていることは
恥ずかしいことです。
そして、もっと問題なのは「思考停止状態」を作り出している、監督を頂点にした先輩後輩の上下関係、
縦割り社会です。いわゆる「体育会系」と言い換えても良いかもしれません。
「体育会系」は、「先輩の言うことは絶対」であり、逆らうことは許されないという
伝統?を重んじる傾向があります。
だから、企業は採用において、体育会系の学生を好んで採用する傾向があります。
会社の都合よく、会社の言うがままに働く社員が欲しいからです。
残業申請をせずに遅くまで働いてくれる社員、パワハラやセクハラがあっても訴えることなく
働いてくれる社員の方が都合が良いんでしょう。
しかし、企業内でいくら誤魔化そうとしても、もし外部からの指摘があれば
完全に証拠を消して何もなかったかのように済ますことは現実的には困難です。
労働基準監督署が入れば、労働条件に不満を持っている社員からの内部告発は避けられませんし、
そもそも内部告発から労働基準監督署が入ることも実際多いでしょう。
「上司が絶対」という妄想に伴う企業風土がなければ、法的に違法であることは
ヒラ社員であろうが
上司に進言して改善を要求することができます。
内部から直接不満や異論の声を吸い上げることは、労働環境を改善し、労働意欲や
労働効率を高めることにもつながり、ひいては企業の業績や社会的評判を向上させることにも
つながります。
「先輩が絶対、先生が絶対」という教育・思想は、自発的な思考を奪うという意味で
非常に危険なものです。
もちろん、何でもかんでも自分勝手に行動すれば良いというものではありませんが
「本当に正しいのか?」「誰にとって正しいのか?」ということを自分の頭で
考えて判断を下すことが必要です。